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皆で渡るから恐ろしい

人類を最高の恐怖に陥れた細胞分裂説について

 人類を最高の恐怖に陥れた細胞分裂説について
 細胞分裂説は1859年ドイツの生物学者ルドルフ,ウイルヒョウによる学説である。此れ迄分裂説と新生説はそれぞれ様々な立場で主張されていたが、いずれも決め手になるものがない状態であった。そこにウイルヒョウの分裂説が決定的な変化をもたらした。当時の外科医たちがこぞって此れを支持したからである。
 細胞が突然他の細胞に変化する。がんで言えば正常な細胞が突然ガン細胞に変化して分裂増殖する。それが際限なく繰り返すというのであるから処置が遅れると当然死に結びつくことになる。したがつて処理は一刻も早くと言うことになる。
 此れは至極わかりやすい。できるだけ早く見つけ出して手術にかかればいいのだから外科医達の支持が得られたのはとうぜんであったろう。これ迄がんに対する決め手になる処理方がなかったので、瞬く間に世界中にひろまっていった。
 しかしそれだけでがんから解方されることにはならない。再発の問題が浮上してくる。そこでがん細胞そのものを破壊する方法を考えるようになった。抗がん薬の開発と放射線の登場である。
 相手は際限なく増殖するものであるから徹低的に破壊するものでなくてはならない。そこで毒をもつて対抗しようということになる。しかし造られた薬剤は副作用があまりにもひどい。といつても他に方法は見出せないから改良してとなる。こうして20世紀後半から21世紀にかけて世界中の薬品メーカーが、がん撲滅の薬剤開発でしのぎを削ることになった。
 その結果副作用の軽減された抗ガン薬が造られるようになったが、元が毒薬であるから副作用の少ないしかも破壊力に優れた薬剤の開発は容易ではない。そこで複数の薬剤を併用して使うことを考える。
 此れでわずかではあるが効果と副作用相互の改善が見られるようになったと言うが、そのかわり専門性が要求されるようになった。簡単に言うと毒を駆使する専門家と言う訳だ。しかしそれで何れだけ副作用が軽減されたことだろう。
 薬剤によってはムカムカは幾分少なくなったが、依然として頭髪の抜けることは変らない。毒だから脱毛するので毒でなくなれば脱毛しなくなる。それではがんは破壊できない。如何に改良しても抗がん薬は毒でなければならないのである。
 現在のがん医療はこのように細胞分裂説を念頭において対抗する方法を考え続けてきた。分裂を際限なく繰り返す恐ろしい相手に戦いを挑む訳であるから、食うか食われるか、死闘になるのも止むをえないと考えてもふしぎではない。
 だが分裂説はいまだに証明されていない仮説だといわれる。それはがんの分裂像を見たと言う人がいまだに出ていなことでもわかる。それを指摘して分裂説は誤りであると主張した学者が日本にいた。分裂説発表から73年後のことである。
# by kondousiko | 2008-11-06 05:56

がんにまつわる二つの重要なこと

がんにまつわる二つの重要なこと
 二つの事に注目と言った。一つはがんの分裂、増殖についてである。誰もがその様に思いこんでいるようだが、どうしてそうなのかとなると誰も分かっていないようだ。そういわれているからそうなのだろう、そんな答えしか返ってこない至極漠然としたものであることがわかっってくる。
 これまでにがんが分裂増殖する事実を確かめた生物学者は、世界中探しても一人もいないのである。それなのにがんは分裂増殖すると世界中の人が思いこんでいる。しかも大変な病気という思いこみだけが一人歩きして恐怖の代名詞の様な形になっている。これではがんと言われたら食事も喉を通らなくなるのも無理はない。
 細胞が分裂まがいの像を見せることがあるが、これは死の過程で見られるもので、観察を続けていると分裂ではなく崩れた像であることが分かる。だからこれが2個になり、4個、16個と増える分裂像など見ることは不可能である。ここまで実験をしないままで分裂を議論して水掛論にしかならない。
 後日この細胞分裂説のあやまりを日本の生物学者が指摘した。だが当時の学者達の反対によって黙殺された。それから50年以上にもなるが分裂説が否定された事実はない。従ってがんは未だに恐ろしい病気であり、世界中の人ががんと戦う事を余儀なくされている。
 ところが医者がなすすべなく治療を放棄した末期がん患者が治り、抗がン薬に不信を抱き自分から医療に見切りをつけた末期がん患者が治る。また絶食療法によって余命幾ばくもないがん患者が治ってしまう。
 これらのことを現在のがん医療に対比させてみると、現在のがん医療がいかに見当違いなことをやっているかが分かってくる。やらなくてもいい治療を押しつけられてかえつて寿命を縮めていることにき気がつく。したがつて分裂説がいかに矛盾だらけの学説であるかが浮き彫りになってくる。
 これに拍車をかけるのがもう一つの誤り、血液の起源である。現在の血液学は「血液は骨髄で作られる」となっている。これに疑問を持つ人は殆どいない。医者の教育がこれに基づいておこなわれているのだから当然の事ではある。だから血液が腸で造られるといつても誰も信じない。
 だがこれを末期がんを治した人達に当てはめてみると、どうしても矛盾がつきまとう。ところが医療に頼らずにがんを治した人達の生活をしらべてゆくと、食事と意識の点で一致する。その鍵になるのが腸であるという結論になる。骨髄造血では食事と意識の関連は考えにくい。ところが腸で血液が作られるとなると目からウロコ、全てが明白になる。
# by kondousiko | 2008-11-03 12:56

がん治療これでよいのか!

 ガン治療これでよいのか!
 健康を誇っていたものが、ある日すすめられて検診を受ける。そこで意外な異常を発見される。早期発見として早期手術はお決まりのコース。これでガンから解放されると思う。しかし翌年思いもかけず遠隔転移が認められ化学療法となる。相当全身にこたえる。
 吐き気のため食事もとれない。やせて脱毛し、白血球・血小板減少のため感染し出血しやすくなる。然し今度こそとの期待で頑張る。然し今回は効果ないと宣告され、途方に暮れる患者は民間療法に走る。主治医もこの上はQOL(生命の質)の向上のためと退院を奨め、自宅療養に入る。
 昭和25年ころには、もう10年少なくとも20年もたてば「がん治療」は確立され人々は「がん」で死亡することはないといはれた。しかし現状は日本人の全死亡の25%は「がん」であり、一向に減少傾向は認められない。
 政府は鳴り物入りでがん撲滅10カ年計画をたてて予算をつぎ込んで死亡率減少を目指してきたが、火に油の感なきにしもあらずである。更に副作用の問題も軽視できない。過日の日本商事の抗ウイルス剤「ソルブジン」と化学療法の併用のため起きる死に至る副作用事件がマスコミを賑わしている。
 欧米諸国では科学療法医(国家の検定試験がある)なるもののみが「がんの化学療法」にあたるという。日本にはその制度がなく、製薬会社の売り上げから見て他国の4倍の使用量であると言う。それが健保の赤字につながっているとも言われる(一般に化学療法薬は高価) 
 日本では何科の医師でも化学療法をすることに制限はない。ここで使用責任者として、5年以上に亘る副作用の追跡調査、併用薬剤の吟味、厳正な効果判定制度等々に、医師の科学者たるにふさわしい対応が待たれる。
 効果はないと分っていても他に方法がないからと。化学慮法攻めにすることだけはやめて欲しいものである。              中野支部  竹内 隆
 これは1994年8月の東京保険医新聞に載っていた記事である。これを見たとき複雑な思いにかられたのは、こんなことをあざ笑うように末期ガンをなおしたK氏が目の前にいたからである。こんな医療は間違っているのではないか。直感的にそう考えたのは当然だった。
 これから14年経ったいまこのガン医療はどう変っただろうか。化学療法剤は改良されて副作用が少なくなったというが、毒物をつかっていることに変りはない。これでがん医療は進歩していると言うが死亡率は下がる兆しがない。患者は増え続けてがん医療の盛況ぶるは目を見張るものがある。どう考えてもおかしい。
 
# by kondousiko | 2008-11-03 12:16

がん医療そのものがおかしい

がん医療そのものがおかしい
 現在の医療状況ではがんといわれたら手術は避けられないものと観念するだろう。しかし本当に手術が必要なのかと迷うところだ。医者によっては化学療法が加わることもあるし、放射線をと言われる場合もある。それらを聞いたところで、空っぽになった頭ではどう答えたらいいか即答できる訳がない。言われるままに決めていいものかと迷う筈だ。
 セカンドオピニオンというものが台頭するのはその為だ。他の医師の意見を聞いて参考にできれば少しは頭を冷やす時間が与えられる。それで納得のゆく医療につながるならこれは利用した方がいい。然しそれで間違いのない対応ができるかとなるとこれは別の問題だ。同じ穴の狢ということわざがある。医者を変えたところでやることは50歩100歩、矛盾だらけでは一致。こんな状況ではむしろ藪蛇になる。
 それはがん医療がやらなくてもいいことをやっているからだ。いややってはならないことをやっているというべきだろう。何を言うかと反発を食らうのは承知に上でいう。みんなだまされている。医者もそのことにきがついていない。だから患者がだまされるのは当然である。
 これはなまじっかな事では分からない。まして医療がなければ夜も昼もないといった、医療べつたりな人間では到底分かるまい。残念なことだが疑いの目を向けて見ようとしない限り分からないと言っていい。しかも冷めた目、正しく言うなら客観的な見方で見ようとしなければわからない。
 信じられないだろうが世界中の人がだまされているのだから無理もない。これはある二つのこと注目し、心の眼で見ようとしなければ分からない。だがそこで是非が分かれば子供でも分かる簡単な事である。
 ここで医療に対する過大な評価が心眼を曇らしていることがわかるだろう。いや狂わしているというのが適切だろう。至極簡単なこと。正しいことは一つしかない。それを見極めればいいだけのことである。
 それはこうだ。ここに末期がんを治した二人の人物がいる。どちらも医者に見はなされ自分の努力で治している。それに対して少しでも量を間違えば忽ち死に至る危険な薬物でがんを治そうとする医療がある。またがん細胞を破壊するために遺伝子を傷つけることをやむを得ないとする医療がある。
 自分で末期がんが治せるのだから初期のがんを治すのは訳もない。それを手術で治さなければならない理由はない。さらにそれを5年生きれば治ったというのもおかしな事である。 自分が治せるのだからセカンドオピニオンは必要ない。末期がんが治るのだからがん医療そのものが不要になる。となると世界中がおかしな治療をやっていることにならないか。それをこれから検証することにしよう。
# by kondousiko | 2008-11-03 11:41

歯車が狂った医慮では何時まで経っても明かりは見えてこない

 歯車が狂った医療ではいつまでたっても明かりは見えてこない
 ガンが自分から分裂して増えて行くというとらえかたをしていたのでは、いくら医療のエキスパ−トを育てても、どれほど研究を重ねてもガンの征服にはほど遠い。死亡者が一向に減らない、死亡率も減らないのが何よりそれを証明している。ところが現状の医療制度を根本から見直して、新しい診療体制を作れば問題の解決につながると考えているのだから暢気なものである。
 06年2月に厚生労働省健康局長の通知がでた。「がん診療連携拠点病院」が提唱され、6月に「がん対策基本法」が公布された。これによってより良いがん診療体制を整備しようというのである。その内容が予防および早期発見の推進、がん医療の均てん化、研究の推進の3つである。
 ガンの予防および早期発見に検診が重要になる点では異論はないが、それが即治療に結びつくのではいかがなものか。大切なのは治療でなく生活を改めることにある。現在のような即治療に結びつく検診では、治療の必要のない人人を医療に巻き込んで犠牲者に変えてしまう。そんな検診はむしろ有害無益でしかない。
 日本のガン検診は欧米などに比べると遅れていると指摘されているが、これは生命保険に入るときに検診を受けていると保険料が安くつくという事情がある。或いは受けざるをえないということが絡んでいる。
 検診を健康保険でカバ−できないかという要望もある。症状がないからこそ必要だという意見もある。だがそれでガンをほじくり出して、必要のない治療をやられたのではたまったものではない。犠牲者を増やすだけの施策でしかない。裏側から見るとそういうことになる。こんなことをやったら、財政難に苦しむ健康保険は簡単に崩壊してしまう。
 面白いのはガンの専門医を自認している人達が、有る意味ではガンを慢性しつかんと捉えていることである。慢性しつかんを外科処理することの矛循に気がつかないだけでなく、さらに抗ガン薬や放射線のような常識はずれな行為で対応する矛盾にも気がついていないのである。これはまさに病気を診て人間の存在を忘れている典型的な医療の欠陥を示している。
 その慢性しつかんを拠点病院や連携病院で急性期の処理をして事足りるとしている。しかも化学療法や放射線のような拷問に近い治療で患者を苦しめ、(これを当然の行為と考えること事態が医者として失挌)手におえなくなるとそれは治療に耐えられない体の方に問題があると言わんばかり突き放す。これでは医療難民が増える訳である。これが進歩したというガン医療だからあきれる。こんな無責任な医療が消えてしまったらこれほど嬉しいことはない。世界中の人にとつて最高の福音をもたらすことは疑いない。
# by kondousiko | 2008-10-08 13:47



常識と非常識の谷間について考える

by kondousiko
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